高島秋講では、ご縁を結んでいただいた方から「大衆供養志」をあげていただいています。この「大衆供養」という表現は、少なくとも現在では高島秋講独特のものかも知れません。(少なくとも私は、他の法座でこのような名称を聞いたことがありません。)
現在、実質的には、「高島秋講運営のためのカンパ」といったものになっています。
高島秋講にお詣りになった際には、お気持ちを受付にて収めて頂けると、大変助かります。
何卒、ご協力の程、宜しくお願い致します。
※ 参考:【Q&A】参加費は?
「大衆」という言葉は、仏教では、「たいしゅう」だけではなく、「だいしゅ」と読むこともあります。いずれの読み方であっても、「一般の人びと」というよりは、「ともに仏法を聞く仲間」という意味あいが強くなります。
大谷派の安居では、寮司などといった立場にない聴衆を「大衆」と呼ぶこともありました。この場合も、「同じく仏法を聞く仲間」というニュアンスが読み取れます。
九州の方でも「大衆供養」という言葉が使われている地域があるとのこと。
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